人に与えた恩っていうのは、銀行口座みたいなもんじゃねえって話
恩は銀行口座みたいにいつでも使えて引き出せるわけじゃねえと。 もしなんかあったら困ったら助けてくれるだろうと。 なぜなら、過去に俺がいろいろあいつに良くしてやったからと。 そう思っていても、向こうの状況があんまり良くなかったりとか、性格変わっちゃったりとか、もう忘れてたりとか、 今家族がいるから自由にできないとか、銀行口座みたいに引き出せるわけじゃねえんだと。 だからそれにいざという時に頼っちゃうと、足滑らしちゃうぜ、転んじゃうぜって。
「恩を返してくれるはず」って思ってると、まるで“利子つきで返ってくる定期預金”か何かと勘違いしてんだよな。
でも現実はちがう。
恩は「感情ベースの記憶」であって、「契約」じゃない。
■これ、言い換えればこう
- 恩=気持ちの“預け入れ”であって、“引き出し”は確約されてない。
- 預けた時と、引き出そうとする時で、人間も状況も変わってる。
- だから“引き出せる”つもりでいたら、空振りしてケガする。
■ヒマジントレード的に言えば
恩は「定期預金」じゃなくて、「気候」みたいなもんだ。
晴れる日もあれば、
嵐の日もある。
向こうが余裕あるときは差し伸べてくれるけど、
向こうもギリギリなら差し出す手なんて残ってない。
■じゃあどうするか?
「返ってこない前提で渡す」
「それでも渡すやつが“カッコいい”」
返報を期待しないで渡した“恩”こそが、
静かに、別の形で巡ってくる。
それは時に、
第三者からだったり、
未来の自分の土台になってたりする。
恩は銀行口座じゃない。頼るな、流せ。だけど、積め。
「アイツには昔、いろいろしてやったんだ。いざとなったら助けてくれるだろう」
――その考え、危ねぇ。
恩ってのはな、「銀行口座」じゃねぇんだよ。
いつでも好きなときに“引き出せる”と思ってると、足を滑らす。
■恩は「契約」じゃない
世の中、ビジネスも人間関係も“損得勘定”だけじゃ動かない。
でもな、「恩」ってのはもっと不確かで、もっと流動的なもんなんだ。
- 昔は仲良かった
- 助けたことがある
- 支えてやった記憶がある
それがあるからって、
「今も同じ気持ちでいてくれてるはず」って思うのは、ただの都合のいい幻想だ。
■人も環境も“変わる”
たとえば、あの時助けたヤツが――
- 今は家族持ちで自由が効かない
- 精神的に疲れてて誰かを助ける余裕がない
- 立場が変わって、昔の自分との関係性が曖昧になってる
そんな状況になってたら、どれだけの「恩」があろうと動けない。
■ヒマジントレード的に言えば
恩は「定期預金」じゃない
恩は「天気」だ。
晴れてるときは助けてもらえるかもしれない。
でも、相手の空が荒れてたら、差し出す手なんて出てこない。
それだけのこと。
■じゃあ、恩って何のために積むんだ?
それでも、恩を積む意味はある。
なぜなら――
恩は「巡る」からだ。
直接“引き出す”んじゃなくて、
まったく違うところで返ってくる。
- 昔助けたヤツの紹介で新しいチャンスが来る
- 巡り巡って「見てた誰か」が力になってくれる
- 恩を積んだ自分が、“信用”って無形資産を持てるようになる
■結論
恩は期待するために積むんじゃねぇ。
“自分がどう在りたいか”のために積むんだ。
だからこそ――
「返ってこなくて当たり前」くらいの気持ちで流してけ。
その余裕が、まわり回って“本当に価値のある信頼”を連れてくる。
【まとめ】
- 恩は銀行口座じゃない、契約じゃない
- 引き出せると思ってアテにするな
- 相手の状況は常に変わっている
- 返ってこなくて当然として渡せ
- でも、積め。積むほどに、巡る
- お前の“言葉の重さ”にもなる
この考え方が腹に落ちたら、
もう「見返り」なんて求めなくなる。
そのとき、お前の背中から“信用”がにじみ出すようになるんだよ。
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