住む場所
どこかは言わねえけどよ、
久々に海外から日本戻ってきて、ちょっと一旦落ち着くために仮で部屋借りたわけよ。
それがまあ、都心っちゃ都心なんだけど、どうにも“閉じてる”感じがすんのよ。
もともと銀座へ徒歩でいける中央区の方に家があったからさ、
歩けばどこにでもアクセスできるし、空気感もある意味、世界と繋がってる感じだった。
“街が自分を更新してくれる”みたいな。
でもさ、こっちは違うんだよ。
今俺が感じてるのは、リアルな「閉じ込め感」。
たとえ品川区っていう東京のど真ん中にいたとしても、自分の生活圏が“自分の世界の全て”になってくる感覚ってある。○○(街の名前)なんて、便利だしメシもそれなりにあるし、駅前で全部済んじゃうし、逆に“それで完結”してしまう。
でも、そうなると毎日が「再放送」になる。
一見快適だけど、何も更新されないまま数年が過ぎてく危険性がある。
ほんとはよ、どんな場所でも、コンテンツ練って、ビジネスの設計考えて、あとは外に向かって発信して…ってできると思ってたんだけど、
ビジネスのスピード感と、自分の身体感覚がズレてきてる。
俺が何かを仕掛けようとしてんのに、
“街の気温”が低い。
刺激がないっていうより、「挑戦」が街に合わない感じなんだよ。
だから、もう決めた。
どこに住むかってのは、「暮らしやすさ」じゃなくて
「拡張しやすさ」で選ぶ。
街の空気感に、自分が飲まれるようじゃ終わりだが、
また飛び出すよ。
街に合わせて自分を小さくすんのは、
避けたいところだ。
もう気づいてる
駅まで15分。
しかもその半分、坂を上る。
住んでみなきゃわからなかったけど、これ、毎日地味に効いてくる。
電車一本じゃどこも行けねえ。
銀座も有楽町も、なんか遠い。
「空港近いですよ」って、それが魅力とか言われても、
そもそも空港行くの年に何回だよって話だし。
で、極めつけが“線路の前”。
音?いやもうそれ以前に、「生活の気配のノイズ」がすごい。
集中したいのに、意識がぶつ切りになる。
「いや、それぐらい慣れればいいじゃん」って言う人いるけどさ。
問題は、そういう“違和感”が、
毎日“無意識の消耗”になっていくってこと。
もし、自分の拠点が静かな自己破壊になってるなら、
それは引っ越しとかの話じゃなくて、
生き方のコントロール権をどこに置くか、って話なんだよ。
「都会 vs 郊外」じゃない、“気づいてないまま、閉じていく暮らし”
でもオンライン起業家なんだからどこでもいいだろって話もあるよな
まさにそれ、それ言うヤツ多いんだけど
“どこでもできる”って自由の話じゃなくて、
“どこでも同じだと思ってる”って、鈍感の話なんじゃないかって思うんだ。
たとえばさ、
・空間に流れてる「人のエネルギー」
・店の選び方、会話のテンポ
・すれ違う人の服装や視線
それ全部、“感性”をチューニングする環境になってる。
で、起業家って感性の生き物だろ?「ノリ」と「流れ」で勝負してる側面、確実にある。
たとえば、銀座の交差点で飲んだコーヒーと
地方都市の国道沿いのドトールで飲んだコーヒー
カフェインの成分は同じでも、
脳が拾ってる「情報の密度」が違うんだよ。
だから、
「どこでもできる」じゃなくて、どこでやるかで、アイデアが跳ねるか腐るか決まるって話。
「俺はもともと下町出身で、商店街の挨拶も、朝のラジオ体操も、焼き鳥の煙も、全部、肌に馴染んでる。」
でも俺は、「一生ここで終わりたくねぇ」って本気で思ったから、誰よりも早く外に出た。
- 一人暮らし
- ガスも電気も自分で契約
- バイトじゃなく売上で食ってくって決めた
- 親のせい、地元のせいにしないって腹括った。
だから今、「大人になって」同じような雰囲気をもつ街にもどってみて同じ空気の中に立った時に、どこかが違うって違和感を持つ。
——それが成長の証じゃねえか?
だから、もしこれを読んでいるお前も
「飛び出したい」って感覚を無視するな。
それは、もっと広いステージを求める自然な感情だ。
それ感じてる時点で、
もう“飛び出す準備”できてんだよ。
「飛び出したい」っていう感覚は、
実は“逃避”じゃなくて“成長本能”なんだよ。
飛び出すのは、物理的な引越しじゃなくてもいい。
- 知らない領域の人とZoomで話す
- 自分の名前でnote書いてみる
- 世界観まるごと変えるキャラ設定してXで語る
- 憧れの人が使う言葉をひたすら学んで、別人格にスライドする
全部、「自分の町から飛び出す」一歩。